2013/09/21

少年マンガに問い掛ける者 『ワンピース フィルムZ』








『ワンピース フィルムZ』をDVDで観た。筆者は特にワンピースの大ファンではないのだが、パートナーが大ファンなのだ。前作『ストロング・ワールド』は劇場で観たが、あまり納得のいく出来ではなかった(ちなみにパニック障害を発症したという嫌な思い出もある)。だが今回は前作よりも格段に作品としての奥行きが増していた。
 重要な点は二つある。一つはルフィが最後にラスボスであるZに勝てることの伏線がきちんと張ってあることだ。前作ではゴールド・ロジャーと渡り合った金獅子のシキにルフィがなんとなく勝ってしまっていた感があるが、今作では元海軍大将Zにルフィが渡りあえる理由がきちんと説明されている。簡単にいえば、Zは老体で特に肺が弱っていることが明示されている(何度かZが吸入器を口に含むシーンがある)。そもそも出だしからして、Zは海を漂っているところをルフィたちに助けられ、チョッパーの介抱を受けているのである。だからこそルフィは最終的にZに勝てるのだ。
 もう一つは、上記よりはるかに重要なのだが、Zがキャラクターとして非常に魅力的であるという点である。これは単にキャラが立っているという次元の問題ではない。ある意味でZのキャラクター造詣は凡庸ですらある(元・敵の大将、腕についたデカイ武器など)。それでもZが魅力的であると(筆者には)感じられるのは、Zがいわば「問いかける者」だからである。Zはルフィに問い掛ける。夢を持つことが、海賊になることが、ワンピースを追うことが、大きなうねりとなり大海賊時代が到来した。一方で、そのために多くの人々が傷ついている。海賊であることへの問い掛けは、別の場所でもなされていたと思うが、「夢を持つ」という少年マンガの至上命題自体が、人を傷つけるものとして疑問に付されているのである。この点が必ずしも深められているとは言い難いものの、この「問い掛ける者」としてのZの存在は、映画一本で消費してしまうのは勿体なく思えるほど魅力的である。勿論、だからといって新世界全部を一度に壊滅させてしまおうとするZの行動は肯定できるものではないし、Zを狂信する者たちについては尚更である。だからルフィには戦う理由もきちんとある。こうした物語構造が、今作に前作とは比較にならない奥行きを与えている。
 ではルフィの答えは何か。これがまた少年マンガの王道パターンであり、苦笑を禁じ得ないといえばそうなのだが、「俺はやりたいようにやる」というシンプルなものだ(これは勿論、人を無駄に傷つけることのない範囲で、ということだが)。これに対してZも「俺もやりたいようにやった、だからもういい」(実際の細かいセリフは忘れた)と答える。要するにこれは番長同士が土手でケンカした後で、夕日を見ながら、「お前やるな」「フ、お前もな」というアレである。これが手垢にまみれた結論であることは言うまでもないが、ここに少年マンガというジャンルのモラルを見ることもまた可能だろう。
 この映画の最後にもう一人の「問い掛ける者」が登場する。ルフィたちが寄港していたドッグの少年である。「ヒーローになりたい、海賊王か、海軍大将か、どっちがいいかな?」と少年は訊く、「お前には同じに見えるのか?」(実際のセリフはもう少し違うかもしれない)と誰かが答える(ゾロかサンジだったと思うが)。この映画の最も感動的なシーンである。そしてZもまた幼い頃にヒーローになりたかった少年だったことが示され、映画は終わる。
 願わくば、次作以降の映画においてもマンガ本編においてもZのような多くの「問い掛ける者」が登場せんことを。